“Ivan the Terrible" and my father/「イワン雷帝」と父

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Memories of watching the Bolshoi Ballet's "Ivan the Terrible" on TV come back to me. Ivan was a terrible emperor. He was a dictator. The Russian film director Sergei Eisenstein also made a film called "Ivan the Terrible" up to the second part. His plan was to make a third part, depicting the lonely dictator at the end. However, the third part was destroyed by Stalin. The second part was banned.

I saw Ivan becoming more and more lonely, and I saw him as my father. When he was in good health, he used to say that he didn't want anyone to come to his funeral, that he only wanted his family to be there. But my sister left home, I left home, and none of his family remained. Then he collapsed from heart failure.

My father was a JR driver, and when he was young, he was the conductor of the D51 choir at his workplace. He once won the first place in a national choral competition. The song they sang was a Russian pop song called "The Youth of the Don. My father received direct instruction from a composer Yasushi Akutagawa and a cellist Yoritoyo Inoue. It was the brightest moment in his life.

I think the Soviet Union was a strange country. It was a dictatorship, even though it produced many excellent gymnasts and figure skaters. My father is similar in some ways.

He has only a few days left to live. Let's watch him quietly.

テレビでボリショイバレエの「イワン雷帝」を観た記憶が戻ってきます。イワンは恐ろしい皇帝でした。独裁者でした。ロシアの映画監督のセルゲイ・エイゼンシュテインも「イワン雷帝」という映画を第二部まで残しています。彼の構想では第三部まで作って、最後に孤独になった独裁者を描くはずでした。しかし第三部はスターリンによってフィルムを破棄されました。第二部は上映禁止になりました。

私はどんどん孤独になっていくイワンを見て、父と重ねて観ていました。父は元気だった頃、自分の葬式には誰にも来てほしくない、家族だけでいいと言っていました。でも妹が家を出て行き、私も家を出て行き、家族も誰一人として残らなかったのです。そして心不全で倒れました。

父はJRの運転士だったのですが若い頃、職場の合唱団D51の指揮者でした。そして合唱団の全国コンクールで1位を取ったことがありました。歌った歌は「ドンの若者」というロシア民謡です。作曲家の芥川也寸志さんやチェリストの井上頼豊さんから直接指導を受けました。彼の人生の中で最も輝いた瞬間でした。

私はソ連という国は不思議な国だったと思います。体操やフィギュアスケートで優れた選手をたくさん輩出していながら、独裁国だったのです。私の父も似たようなところがあります。

彼の人生は残り少ないです。静かに見守ることにしましょう。



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2 comments
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芥川也寸志さんや井上頼豊さんが来てくれて指導してくれるなんて凄すぎます。どうやって呼んだの?と不思議に思うぐらいです。

エイゼンシュテインって確か「戦艦ポチョムキン」を撮った人でしたね。フィルムを破棄したり上映禁止にしたスターリンはやっぱり独裁者だったと思います。それに対して体操やフィギュアスケートでソ連の選手が素晴らしかったのは、その人の能力に加え、国家が育成システムを強化したからでしょう。

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あの頃、働く人によるうたごえ運動が盛んで芥川也寸志さんや井上頼豊さんのような芸術家の人々も一生懸命応援してくださったんですよ。残念ながら意見が合わないところがあって二人はのちに追い出されるのですが。
エイゼンシュテイン、「戦艦ポチョムキン」、よくご存知で。いつになったらポチョムキンのラストシーンのような勝利の航行ができるのか。
体操やフィギュアスケートなどについては国家の育成システムは否定できません。でも育成に励んでもどうしてあんなに芸術性の高い演技ができたのでしょうか。具志堅幸司さんはアルチモフ選手の演技を「動く彫刻」とまで言ってました。

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